309】何を目指した練習か?

人間だから失敗はつきもの。
チャラチャラした所作でないならば基本的には失敗しても堂々としていれば良いと思う。
他方、その失敗を恐れるが故に小さくなってしまうのはよろしくない。
チャレンジし何らかの結果が出る、その結果を素直に受け止め次に活かす為の創意工夫と努力を加える。
これを当たり前の如く前向きに取り組めるならば、そして継続出来るならば最高だ!
成長間違いなし!
あとは成長から成功に結びつけるための努力のボリュームの問題、やらされる練習から、自発的に明日を夢見て取り組む練習へ、想像するだけでもワクワクしてくるではないか!
高校生、大学生選手ではけっこう居ると思うが、中学生のうちからそういう感性を持つ子はやはり、ものが違う。
是非育てたいものです。

さて失敗の話に戻ります。
その失敗のほとんどが反省材料になり言うまでもなく良い事だと思います。
がしかし、単純な事にもかかわらず覚えきれず高い頻度で同じミスを繰り返す…。
中学生としてはお粗末でかなりの低レベルだと感じる事が多々ある。
マスターするのに時間のかかる選手は2倍3倍の強い意思で取り組めという事です。
こちらとしても、以外に簡単な事だけれど、しかし重要なのでたっぷりと時間をかけて練習している事なんですが。
サインを見る、コーチャーを見る、振り返らずとも見える打球はランナー自身が見る、スライディングしろと注意を受けるな、カットに入れ、カバーに入れ、チェンジ交代で速やかにグローブと帽子を選手に持って行け、こんな事にいまだに時間をかけなくてはならないのである。
まだまだです。
負ける要素満載。
カットとカバーに関してはバリエーションが豊富なのですぐに出来なくても仕方ないところもあるが、概ね1年目の半年以内で完全マスターしなくてはいけない初級項目です。
2年生がこのレベルでつまづくようだと試合に使う訳にはいきません。
猛省をしていただきたい!
サインを覚える、サインを見る、グラブと帽子をセットで置いておく、それをチェンジの時に素早く選手に持っていく、控えの選手は素早くトンボを取りに行きグランド整備、内野ゴロは一塁まで全力疾走、フライも相手野手が落球することを想定して走る、、、そんなに難しい事なのか?…。
ここを早くクリアして次の階級に進まねばならないのです…。
バレーボール、女子シンクロ、女子チアリーディング、自衛隊等々、いろんなものを背負った意地とプライドと責任感のある訓練行動の厳しさの中に様々なヒントがある。
真に楽しくやるがために苦しかろうがマスターしなくてはいけない事というのが絶対にある。
トップアスリートの並々ならぬ努力や苦悩や苦労を理解せず、ただ明るく楽しく…この部分だけを真似しても良い選手は育ちません。       

先日、ある試合で1点差で負けている最終回の攻撃時、内野ゴロで諦めて一塁手前で走力を抜いた選手がいた。
当然私は激怒した訳です。
私の野球で許せる事ではないからです。
本人曰く「全力で走りました」 。
明らかに手を抜いていたが。
こんな嘘をシャーシャーと言ってのける選手は大した度胸だと思うが、しかし真 (まこと) の度胸ではない。
言い訳を始めて、収まりがつかなくなったのである。
別に私に従順でなくても良いが、その場しのぎの嘘には信念がなく軽いし、成長の妨げになること必至。
そういう選手って「逃げ」が先に来るから以外にここ一番のプレッシャーに弱い。
練習時から自分を追い込む事をしないから大事な試合では逆にプレッシャーに支配され、追い込まれ、押し潰されるのだ。
当然「逃げ」を覚えるのである。
良い事は何もない。
面白さ、楽しさのはきちがいになっていく。
私がこだわる事である。

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308】自覚と自立のために

中学野球でも高校野球でもよく、「あのチームはあれだけの選手がいるのだから強くなって当たり前」という会話を耳にする。
妬みや僻みが混在するこの言葉にはいくらかの違和感を感じる。
端的に言えば、チーム組織が努力を積み重ねてそういう選手が入団してくれるチームに育て上げたのだ。
もちろんスカウティングの是非やルールやマナー、エチケットは大切で、それを遵守した上でという大前提は崩してはならず、そうでないと中学生野球にもかかわらず金品が絡んだり、誹謗中傷が飛び交ったり、キナ臭い動きはエスカレートの一途を辿る事になる。
中学1年生を募るのに特別待遇条件なんていう恐ろしい話も聞いた事がある。
一方、歴史や実績のある、少なくとも私が存じ上げてる指導者の方々は、清い努力と苦労を重ね組織作りをし選手を獲得されており、チームに魅力が有るが故に選手の方から集まって来てくれてると思うし称賛に値すると私は思います。
見習える所は見習いたいし、豊中シニアとして取り入れるべき事は取り入れたいと思っています。

ところでその魅力とはいったいどの様なものなのだろうか?   
高いチーム力(実績)、グランドの有る無しと近さ(練習環境)、高校進学ルート豊富度(進路)、指導者の数と資質や厳しさ優しさ(人間性と指導力)、練習の質量(練習内容)、送迎の有る無し、親の当番の有る無し(親御さんの負担)、月平均いくらかかる?(会費)、頭髪問題等(風紀)、等々こんなところだろうか。
すべてを満足出来るチームは無い。
どれを優先に考え、どれに目を瞑るか…。
ひとつ言えるのは、ひと昔前に比べると親の関与率が数段高くなってきている点だ。
子供よりも親の希望と都合が優先気味で、これも近代世相なのか、色々な局面での古い私の考え方とのギャップは私の気力体力をも徐々に奪っていきます。
賞味期限が迫って来ているのかもしれません。(苦笑)
私は自分自身の生い立ちがそうであったように同じく我が子に対しても、よほど間違った選択をしそうではない限り静観し自分で決めさせてきた。
たとえそれが私の意とは違っていてもです。
子供のそれなりの選択や判断ミスそして失敗は成長や自立への足掛かり、多少の間違い等は想定内と位置付けて恐れず悠然としておれる親の度量も必要なのだと私は思う。
また親である私の方が間違う場合もある訳ですから…。
そりゃ、父は母は監督は、全てが正しくて言った通りになる!   ならば凄い事でしょうね。
だけど居ませんわ、そんな人。
だから私も今もって経験、勉強。
私がこれまで我が子の言動に口出ししたケースとしては、それは友達を裏切る事にならないか?
先生を裏切る事にならないか?
ただ、今を逃げる為だけではないのか?
嘘をついてないか?
責任感は?
愛は?
そういう重要な局面でそれは人として大きな間違いではないのかと思える事にのみ口を挟んだ。
ここでひとつ!  先生から授業してもらったが思わしい点数ではなかった…監督からヒットを打ってこいと激励され打席に送り出されたが空振り三振だった…どちらも期待されてた訳だが結果は良くなかった、これは決して裏切りではない、特段の問題は無い。
ただ単に期待に応えられなかっただけの事なのであって、ファイティングスピリットを持っているのであれば、また気を入れて次をチャレンジすればいいだけのこと。
そのチャレンジ精神は違う意味で大いに期待に応えてくれているのである。
その姿勢が見えれば本当に嬉しいことなのです。
 問題は放棄すること、嘘をつくこと、あやふやにすること、反省も何もなく適当に対処すること、逃げることにある。
これはちょっと良ろしくないし、私が一番腹立たしく思う事であります。
親の、子に対するこれまでの躾や教育が問われ、成果がハッキリと出てくる局面であります。
私達は選手を預かる上で、この伸長の邪魔をしている性格を有している選手をいくらか修正にかかるんですが、かなり難しく時間がかかります。
理想的な良い方向に向いてくれる子は10人に1人くらい。
親は我が子に対し、やる気を見せて欲しい、せめてこれくらいはやって欲しい、努力の形跡が見えない等のバーを設定するんですよね。
物の言い方にも色々あって、これをこうしないのなら、あなたの好きなあれは取り上げてしまうよ、という言い方を、あれは好きなんでしょう、取り上げる事はしないから、これをもう少しだけこう出来ないか?  やってごらん?、と根気よく言えたら何か進展があるかもしれませんね。
私も厳しい言葉を吐く方なのでつくづく言葉は難しいと思うし、なかなか真意も伝わらなくもどかしいですが、TPOに合わせて言い方も変えていければ良いと、また必要であると思います。

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