302】貴重な体験

予選1回戦はまずまず引き締まった野球をしてくれました。
ここに来て3年生の4人がとてもしっかりしてきた。
しかしまだ数人足りない。
あと3人出て来てくれれば戦える戦力なのだが…。
2年生は1人を除いて皆、弱さが露呈。
その弱さも何とかなりそうな選手と時間がかかりそうな選手とが居る。
誰にも緊張感やプレッシャーはあるものだが、それによって体が動かなくなる選手が多いこと多いこと。
この弱さは自分で解決するしかないのです。
その解決方法は沢山の失敗体験と成功体験にある。
何人かの選手は充分過ぎる経験を積んできているが、それでも毎回ビビり、テンパる。
無心で初球からガンガン行けと指示を出し、実行すれば5割以上の成功率なのに、その成功体験を活かせずすぐに消極的姿勢に戻ってしまう。
さっきそれで好結果が出てるのに…。
その懲りない弱さに私は閉口することもしばしば。
まだまだ自分の力で歩んでなく、おそらくは過保護の要素が強いんだろうと推測出来る。
それが良い悪いと言うんじゃなくて、それをも前提にして話をしなければならない選手も居る訳で、これは大変。
勿論全員ではありませんが、近年は無理もないが、家庭で厳しく躾られてないであろう御子達に、強弱の叱責を盛り込んで野球指導する訳ですから、時間もかかります。
親御さんの御理解と御協力も必要ですので何卒よろしくお願いします。
これが塾ならば志望校に合格すべく単に勉強を教えるだけでしょう。
しかし豊中シニアは塾じゃない。
体力と技術の習得以外にも協調を学び、自己抑制も学ぶ。
優しさや思いやりや礼節を学ぶ。
男の修行の場と言ってもいいのではないでしょうか。
ここにチームスポーツならではの良さがある。
ラグビー等もきっとそう。
個人能力の集まりではあるが調和無くして成り立つものではないのです。
今、選手達にとって一番大切な事は、本人が気付きガムシャラに取り組む事なんですが…。
プレッシャーを楽しめる境地になれれば理想的でしょうが、中学生にはちょっと難しいか……。
そういう選手にはなかなか会えないですね。

私は滅多に緊張して心臓がバクバクする事はないが、これまでの人生で3度だけ、どうしようもなく身体中が緊張につつまれた事がありました。
1度目は中学3年生の秋、中学野球全日程が終了した後、陸上の大会に出場した。
競技は100メートル走。
あれよあれよと言う間に地域大会を勝ち抜いて山口県の本大会に出場。
場所は県立陸上競技場という大舞台。
予選1組目、大会にも競技にも慣れてない私は一人ボーッとしている、一方レース前、他の選手はコーチからマッサージを受けたり、アドバイスをもらったりしてる。
勝手が違うわ、雰囲気には呑まれるわ、スタート直前にはもう逃げ出したくなるくらいだった。
心臓が飛び出そうとはこういう事を言うのかって感じでした。
結果は自己ベストにも程遠く12秒30の予選落ち。
2度目は大学4年生の秋、首都大学秋季リーグ戦で日体大の岡本と首位打者争いをしていた私は、野球は大学が最後と決めていた。
最後の野球、硬式野球人生最終打席、ヒットを打てば首位打者当確、おそらく周りの誰も知らない私の思い、どうしても最後にヒットを打ちたいと緊張し体がガチガチになった。
今思えば打席に入るルーティンもいつもと違ってたんじゃないだろうか。
初球の甘いストレートに手が出ず、勝負あり。
結果は詰まったセカンドゴロで悔いの残る最終打席となった。
それまで味わった事のないプレッシャーでした。
3度目は30才の時、親友の結婚式で司会を安易に引き受けてしまった。
簡単に出来ると思ったのだ。
何度も練習した。
何度も。
しかし本番では練習が全然役にたたず何が何やら分からず、全く言葉が出ず、頭の中も真っ白になってしまった。
新郎のお母さんに助けられながら何とか進行させていただいた。
以上3度とも初めての経験、さすがに完敗でしたが、その後に活きる貴重な体験だった事は言うまでもない。
選手達に何か参考になればと思い書きました。
私の物怖じしない性格は母の躾と教育に因るところが多い。
厳しかったけれど優しかった。
幼少の頃からとにかく私を人前に出さす、中心的な役割を担わせる、トップに立つよう暗示をかける、私に考えさせて決めさせる。
おそらく母も答えは持っていたに違いない。
しかし私が道を大きくそれないかだけただじっと黙って見ててくれていたような気がします。

301】令和初の選手権

日本選手権予選1回戦、対桜井シニア。
やれる準備はやりました。
今週土曜日、ローズ球場第一試合です。
チャレンジします。

300】300回

選手と共に、と心に期して綴ったこの日記も今回で300回目となりました。
監督就任 (2010年4月) 1年目の11月から足掛け8年半ですから月に3回平均の投稿になりますか。
早いもので私も監督9年目を迎えてます。 (コーチ期間を含めると14年目)
私の指導者たる原点は、父が居なかった私の幼少期を振り返り、当時欲してた事は何か、また、私と同じ失敗は極力させたくないという事、母子父子家庭の子も何とか硬式野球の道を開けておいてあげたい、つぼみをより大きなつぼみにして高校に進学させたい、人を大切にする人間になってもらいたい、強い心の根を張らせたい、という事です。
そしてこの日記、当初は「新米監督である私の考えを選手達に伝えたい」そこが出発点でした。
次に御父母にも伝えたい、そして学童の関係者の方々に御一読賜り、豊中シニアを御理解頂きたい。
監督を引き受けたからには、こういう小さな事の積み重ねも加えていかないと旧態依然としたチームからの脱却そして新生豊中シニアは作れないと考えたからです。
日記の良いところは良くも悪くも過去を振り返り、将来に役立たせる事が出来る事、自分に過ちやブレが無いか確認も出来る事。
よく過去は振り返らないという話を聞くが私は違うと思う。
過去の栄光にしがみついたり自慢するのはどうかと思うが、残した足跡は大切なのである。
教訓は過去の実体験から生まれ、今を思考させ、未来を想像、創造させる。
私の思いはこんな発想から拡大していきました。
ところが3年近く経った頃、思わぬ波及があり、他チームの指導者、小中学校の先生、ある中学校の担任の先生が、教え子の落ち着きや所作が良くなっている理由を確かめに来られたり、そしてこんな事もありました。
ある関東の高校野球の監督さんがグランドまで訪ねて来られ一度話を聞きたいとおっしゃる。
大変光栄ではありましたが、その頃からでしょうか、私もヘタな事は書けない、とついつい文面が難しくなり選手達が読むには徐々に難解なメッセージに変わってしまいました。 (苦笑)
今は、御父母の皆さんに読んでいただき、それを噛み砕いて我が子に伝えてもらうようにしています。
反対意見も御批判もあるでしょうね。
それは当然の事で想定内ですが、誹謗中傷と叱咤激励は全く異なります。
大切な事は子供達の為に真面目に取り組んでいるかどうかだと思う。
チーム方針や監督の考えが伝わり、御理解と御賛同をいただけた選手と親御さんが入団して下さっていると思ってます。
事前の説明やイメージと、入団してからが大きく違うようでは信用なんてしてもらえるはずがない。
野球人口減少傾向の折、チームの入口と出口 (高校進学先) 、練習環境 (グランド、練習施設)、指導内容、指導能力と質、人柄、等々厳しい選別の目が向けられます。
チーム側と我々にも避けて通れない責任があります。
「うちのチームは親の当番等々ありません」、と謳うチームもあると聞きますが、充実した硬式野球を3年間遂行し高校野球に邁進するには練習環境の充実とリスク管理は重要で、最低限のお手伝いをいただくのもまた不可欠で、全く無くてもいいというのは中学生硬式野球では甚だ疑問だし、それがセールストークやチーム選びのキーワードであるならば、ちょっと違和感を感じる。
事故、怪我、故障、オープン戦審判、…。
御理解と御協力が無くてやっていけるはずがないと思うのですが…。
そんな中私も、もっともっと、御父母の御負担を軽減出来ないかを常に考えてますが、ある程度はやはり御願いをせざるを得ず、当豊中シニアでは残念ながらゼロには出来ません。
ただし協力し合えばもっと軽減出来るしもっと良くなる。
そういう御父母の集まりであって欲しいと思うし、理解出来る指導者で在りたいと思います。
我々指導者は育成か勝利至上か、選手においてもチームの一員としての責任、言動、自己表現と自己抑制、言えばキリがないくらい答の一定しない事ばかり。
指導にこれで良いというゴールもありません。
豊中シニアは何の手当ても報酬も存在しないチームです。
私はこれで良いと思う。
野球と子供が好きだから、誰かの役に立ちたいから、そこに愛があるから続けられる。
これまでも色んな事がありました。
その度に乗り越えて来たし、また色んな人達にも助けられました。
ある時は御父兄に、ある時は中山名誉会長やコーチ達に選手達に、そしてある時は他チームの指導者の皆さんに…。
勿論我が家族の理解が無ければここまで来れようはずもない。
私は恵まれていると思います。
年齢や体力的にあとどれくらい続けられるか分かりませんが、自分を信じ、仲間を信じ、今後もブレずに進んで参りたいと思います。

2019年 5月 24日     
豊中シニア   監督   宮本  浩二