266】勝ちに浮かれる事なかれ

関西六大学杯といい、北大阪ブロック予選といい、いずれも負けゲームを勝利している。
不思議な勝ちである。
皆が勝利に歓喜する中、三代コーチと私は懸念が増大する…。
やること成すこと美味くいかなくて負けた…負けるならそんな負け方が良いと思っていたし、そんな秋を望んでいたが、力量不足なのに何となく運も味方してくれて、このままでは大きな勘違いをしてしまう…。
我がチームは北大阪ブロックで実力7位と分析していたので、予選で1勝出来たら充分目標達成、今大切な事は8ヶ月後に向けての鍛練スケジュールと実行。
そしてその為の意識改革。
すべての分野でレベルアップしなければ、とても来年ここ一番で勝てない。
しかしブロック予選の決勝戦まで来てしまいました。
最後の相手は後藤監督率いる北摂シニアさん。
直近の試合を見学したが、この時期からすると仕上がりが早く精度の高いチームです。
私が一目も二目も置く後藤監督ならではのチーム。
結果は、善戦はしたものの実力差は明らか。
勝負で負け、点差以上に野球でも負けました。
内容も結果も想定内だったし、決して負け惜しみではなく私は負けて良かったと思っている。
まともにキャッチボールも出来ないチームが1位通過など出来る筈がない!
当然の結果だし、選手達に我々指導陣が言っている意味本質を今より深く理解させる為には、100回言って聞かせるより効果がある。
あとは本人が自覚し行動に変化が出て来れば理想的で大きく成長します。
私も反省し今後に活かすが、選手達もこの負けで己の未熟さや、不足してるもの、上を目指す熱いものを感じず今までと相も変わらぬ行動なら、たぶん野球選手としては今後難しいと思う。
成功体験も要るが、大半は失敗体験、挫折が糧となり大きく開花する。
ボトムから這い上がるには、やはり「何クソ」「負けてたまるか!」の精神が必要。
その性格や礎を持ち合わすには幼少からの家庭養育が殆んど全てな訳で、我が子大好きな御父御母が愛情の種類をはき違えると、自立出来ない子になってしまっているケースが多分に見受けられる。
厳し過ぎるのは良くないかもしれないが、甘いのは、もっと良くない。
これまで沢山の子供達の指導に携わってきて私はそう思います。

265】日本人2

近年、釈然としないのは、日本中でパワハラと称して言葉の暴力等々が簡単に大袈裟に取り上げられる事、勿論言って良い事と悪い事はわきまえなければならないが、それにしてもその沸騰点がどんどん低くなって何でもかんでも直ぐに炎上し問題化する事です。
文句言いが大人の分別有る行動を取れず、大勢を巻き込んで事態を正当化し牛耳ろうとする世の中って、想像したらゾッとします。
誰にも何も言えなくなるよ。
いや誰も何も言わなくなる。
どこに居ても黙って静かにしているのが得ってか?
例えばアマチュア野球界に於いても勿論、指導者側にも個人的な感情や虫の居所で怒る事があってはならず、絶対的な愛情を持って叱るべきなのは今更言うまでもありませんが…、 それにしても些細なことでも恐ろしく反応が速かったり、世間もマスコミも大勢意見にとても弱かったり、権力や肩書きに弱い。
全部が悪い訳ではなく、表現の仕方や目的や心がそこに有るかどうかによって大きく変わってくると思うんですが。
今思えば間違ってた事は多々あったであろう、しかし確かに古き良き時代は存在した。
精査した上で謙虚に指摘し、改善すべき点は謙虚に善処する事がベター。
言ったモン勝ちや何かに直ぐに噛み付くんじゃ、どこかやるせない。
過去を否定せず、温故知新でいいんじゃないか。
昔のアニメで 「巨人の星」「エースを狙え」や「アタックNO1」 等々がありました。
そう、『努力』と『根性』 のスポーツアニメ。
あの時代、誰もそれを否定してなかった。
今なら体罰とパワハラで大問題やね。
でも自らその教えを求めビッグに成長していくサクセスストーリーには、成功の陰に犠牲ありというメッセージが織り込まれていたと思う。
各スポーツのトップアスリートに聞いてみたらどうだろう?
「あなたはどんな練習で日本一になったのか? どんな努力で世界一まで登り詰めたのか?   コーチは穏やかで優しかったか?」
根拠の有る厳しさと愛情が大切で不可欠なのではないだろうか。

264】日本人

海外から見た日本の野球、いや他のスポーツにも言える事だが、未だに日本は鉄拳制裁も辞さない厳しさ、激しさなのか、と。
しかもあたかも、それが完璧に悪であるかのように語られる…。
ここで誤解の無いよう先に言わせて頂きますが、私は鉄拳制裁が良いとは思っていないし、もちろん私が監督を務める豊中シニア内でも体罰は厳禁で、確りと指導部内に通達し徹底を図っています。
ただね、メディアを通じてしゃべるのなら日本の時代背景を認識し理解してからだと思う。
体格なんて簡単には大きくならないんだから、日本人は対等に戦う為に精神を鍛え、技を磨いたんだ。
当時のそこには、今ならマスコミが喜んで飛び付く格好の材料が幾つも有った。
全部が悪い訳ではない、表現の仕方や目的によって大きく変わってくると思うんです。
国民性と言ってもいい。
確かに昔の常識が今は非常識な場合はあるが、その過去に慰労、感謝の意を持ちつつ今を捉え、善悪を改良していけば良い訳で、過去の産物を否定してしまうと日本の歴史をも否定してしまう事になる。
70憶人の人間をひとつの物差しでなんか計れる筈がない。
歴史、文化、価値観、様々な要素が根底に混在し、指導分野に於いても独自の教育ビジョンや組織形成、徳育等々になっているのです。
そこに反省も喜びも悲しみをも生じ、経験則となり前へ歩んで行く。
その時時にやむを得なかった事もあるし、目指す目標もあるのです。
平均身長190㎝ 近くある大リーガーに、また明らかに体格の違う海外ラガーマンに勝負を挑むんです。
知恵を振り絞り、戦略、戦術、厳しい練習、そして私生活をも勝利に結びつけて考えてやっていかなきゃ勝てないし勝負にもならない、こうして海外勢に立ち向かってきたのが日本ではないか!!
力のあるデカイ強者はのほほんとしてるもんです。
だからチッコイ弱者にチャンスが生まれる。
体格のデカイ関取と四つに組んでも、体格のデカイチームと打撃の打ち合いをしても、平均身長に差があるバレーにおいても守りぬいて戦略戦術を駆使して組織プレーで挑まなければ、まともに正面からぶち当たっても結果は見えてる。
苦労して苦労して、試行錯誤を繰り返す。
そして日本独自の技術と精神が生まれ体格の違いを補ったのだ。
そこには悪しき伝統と扱われる根性論や鉄拳制裁等もあった。
今はそれらが良くない事だと唱えられているにせよ、そういう過去を悪者にしなくても良いではないか!
日本人の体格もこの50年間でサイズが大きく変わってきたが、それよりも血のにじむような努力の過去が有って現在が有る事を忘れてはならない。
その上で品格を携えての、是は是、非は非なのだ。