300】300回

選手と共に、と心に期して綴ったこの日記も今回で300回目となりました。
監督就任 (2010年4月) 1年目の11月から足掛け8年半ですから月に3回平均の投稿になりますか。
早いもので私も監督9年目を迎えてます。 (コーチ期間を含めると14年目)
私の指導者たる原点は、父が居なかった私の幼少期を振り返り、当時欲してた事は何か、また、私と同じ失敗は極力させたくないという事、母子父子家庭の子も何とか硬式野球の道を開けておいてあげたい、つぼみをより大きなつぼみにして高校に進学させたい、人を大切にする人間になってもらいたい、強い心の根を張らせたい、という事です。
そしてこの日記、当初は「新米監督である私の考えを選手達に伝えたい」そこが出発点でした。
次に御父母にも伝えたい、そして学童の関係者の方々に御一読賜り、豊中シニアを御理解頂きたい。
監督を引き受けたからには、こういう小さな事の積み重ねも加えていかないと旧態依然としたチームからの脱却そして新生豊中シニアは作れないと考えたからです。
日記の良いところは良くも悪くも過去を振り返り、将来に役立たせる事が出来る事、自分に過ちやブレが無いか確認も出来る事。
よく過去は振り返らないという話を聞くが私は違うと思う。
過去の栄光にしがみついたり自慢するのはどうかと思うが、残した足跡は大切なのである。
教訓は過去の実体験から生まれ、今を思考させ、未来を想像、創造させる。
私の思いはこんな発想から拡大していきました。
ところが3年近く経った頃、思わぬ波及があり、他チームの指導者、小中学校の先生、ある中学校の担任の先生が、教え子の落ち着きや所作が良くなっている理由を確かめに来られたり、そしてこんな事もありました。
ある関東の高校野球の監督さんがグランドまで訪ねて来られ一度話を聞きたいとおっしゃる。
大変光栄ではありましたが、その頃からでしょうか、私もヘタな事は書けない、とついつい文面が難しくなり選手達が読むには徐々に難解なメッセージに変わってしまいました。 (苦笑)
今は、御父母の皆さんに読んでいただき、それを噛み砕いて我が子に伝えてもらうようにしています。
反対意見も御批判もあるでしょうね。
それは当然の事で想定内ですが、誹謗中傷と叱咤激励は全く異なります。
大切な事は子供達の為に真面目に取り組んでいるかどうかだと思う。
チーム方針や監督の考えが伝わり、御理解と御賛同をいただけた選手と親御さんが入団して下さっていると思ってます。
事前の説明やイメージと、入団してからが大きく違うようでは信用なんてしてもらえるはずがない。
野球人口減少傾向の折、チームの入口と出口 (高校進学先) 、練習環境 (グランド、練習施設)、指導内容、指導能力と質、人柄、等々厳しい選別の目が向けられます。
チーム側と我々にも避けて通れない責任があります。
「うちのチームは親の当番等々ありません」、と謳うチームもあると聞きますが、充実した硬式野球を3年間遂行し高校野球に邁進するには練習環境の充実とリスク管理は重要で、最低限のお手伝いをいただくのもまた不可欠で、全く無くてもいいというのは中学生硬式野球では甚だ疑問だし、それがセールストークやチーム選びのキーワードであるならば、ちょっと違和感を感じる。
事故、怪我、故障、オープン戦審判、…。
御理解と御協力が無くてやっていけるはずがないと思うのですが…。
そんな中私も、もっともっと、御父母の御負担を軽減出来ないかを常に考えてますが、ある程度はやはり御願いをせざるを得ず、当豊中シニアでは残念ながらゼロには出来ません。
ただし協力し合えばもっと軽減出来るしもっと良くなる。
そういう御父母の集まりであって欲しいと思うし、理解出来る指導者で在りたいと思います。
我々指導者は育成か勝利至上か、選手においてもチームの一員としての責任、言動、自己表現と自己抑制、言えばキリがないくらい答の一定しない事ばかり。
指導にこれで良いというゴールもありません。
豊中シニアは何の手当ても報酬も存在しないチームです。
私はこれで良いと思う。
野球と子供が好きだから、誰かの役に立ちたいから、そこに愛があるから続けられる。
これまでも色んな事がありました。
その度に乗り越えて来たし、また色んな人達にも助けられました。
ある時は御父兄に、ある時は中山名誉会長やコーチ達に選手達に、そしてある時は他チームの指導者の皆さんに…。
勿論我が家族の理解が無ければここまで来れようはずもない。
私は恵まれていると思います。
年齢や体力的にあとどれくらい続けられるか分かりませんが、自分を信じ、仲間を信じ、今後もブレずに進んで参りたいと思います。

2019年 5月 24日     
豊中シニア   監督   宮本  浩二

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