442】我が最高の師

久しぶりの掲載ですが、まず最初にどうしてもこれだけは書かせて下さい。

去る10月30日、私の野球人生に於いて最高峰の恩師である松岡 勝利 様が御逝去されました。
私の高校時代の野球部を率いる闘将、山口鴻城高校の元監督であります。
とにかく厳しい人でした。
その練習がイヤで毎日「雨乞い」してましたもん。(苦笑)
試合でも特に当時ライバル視していた宇部商業、南陽工業、山口高校には根性むき出しで戦っていた。
甲子園にはあと一歩届かなかったが、無名の我々が春季県大会を準優勝、5県の中国大会を制覇し、当時津田投手(後の広島カープ)を擁する南陽工業と並んで山口県夏の優勝候補にまで登って行った。
関西遠征では阪神の木戸さん、広島カープの西田さん、金石さん等が居た黄金時代のPL学園とも4対4の互角の勝負をした。
その当時、我々は本当に強かったと思う。
その後早稲田大学セレクション、亜細亜大学練習参加、と紆余曲折の後に帝京大学に進むことになったのですが、オヤジ(松岡さん)には、ご心痛とご迷惑ばかりおかけしてしまいました。
私が4年生になってレギュラーを取り打率3割6分を越えた事、4年の秋の最終シーズンで打率4割を越え首都リーグベストナインになった事、心から喜んで下さいました。
でも、「お前ならやれると分かっていた、遅過ぎる。」と叱られた。
高校を卒業してからハッキリと解った!
最高に温かい人でした。
とにかくショックです。
現在、豊中シニアで監督をさせて頂いてる私ですが、何度かオヤジに相談を持ちかけた事もあります。
でもその時も「お前ならきっと良いチームを作っているはず、今度大阪に見に行かせてもらうよ」って…。
オヤジに送ってもらった1番美味しいと言っていたあの焼酎、まだ何本か残ってます。
偲んで飲みたいと思います。
野球人として今の私が有るのは間違いなくあなたが居て下さったおかげです。
悲し過ぎる。
本当に悲し過ぎる。
私の野球は、そして基礎は、絶対にあなたから教わり始まって行きました。
誠に有難う御座いました。
心よりご冥福をお祈りします。
合掌。
=兵(つわもの)会=

一番弟子 宮本 浩二

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